レディ・プレイヤー1

日米のサブカルの定義の違いなのか、アメリカ人の感覚でもそうなのかはわからないけど、ガンダムとかシャイニングとか言うほどオタク向けなのか。

にわかオタクを否定するくだりがあったりする割に、この映画もスティーブン・スピルバーグという超メジャー監督からみたオタク向け像が出ていてつらい。

オタクをばかにするなってストーリーでありつつ、ネットゲームにうつつを抜かすのは社会不適合者ていうレッテル貼りえいが。

メカゴジラと戦うのはガンダムよりエヴァのほうが良かったんじゃ。庵野秀明的に。

ゲームクリアしたあとのシーンはスティーブン・スピルバーグの映画って言う感じで良かった。匂いのついてる監督はつよいね。画面から監督の匂いがする、

グラン・トリノ

移民問題のはなしなのかなーって思ってみてたら、ニート更生のはなしやった。

ラストシーンで「覚えとけよ」とか不良が言わなくてよかった。

トヨタは敵。でっかいはねが付いてる車も敵。おもしろ。

奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール

大根仁監督の東京マスコミものシリーズの一つ。

奥田民生になりたいボーイはべつにミュージシャンを目指している男とか言うわけではなく、奥田民生のライフスタイルにあこがれて生きている男のこと。マシマロみたく本編とあんまり関係ない。

奥田民生の楽曲は多数使われているが、モテキのようなグッとくる使い方みたいなのはあんまりなかった。奥田民生さんのファンの人なら別かもしれない。

モテキの上級版みたいなはなし。

出会う男すべて狂わせるガールのほうが映画の内容を表していて、水原希子さんに振り回される男の話。モテモテの女の子という難役だが、冒頭の漫画のようなおしりの説得力がすごい。

奥田民生のような自然体の生き方に憧れている主人公ではあるが、その生き方を目指すこと自体が自然体じゃないという矛盾。

ジーンズのシミを気にしない生き方に憧れているが、主人公にとってはスーツのシミが気になる生き方が自然体だった。水原希子さんに憧れていても安藤サクラさんのほうが自分にあっている相手だった。

そんな泣くほど悲観することでもないと思うけど。

憧れとはある程度距離感があったほうがいいよ。という話。

大根仁監督作品らしくテンポもよくおもしろかった。

打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか 

あやふやな作品

時代があやふや。風力発電の風車は世界をぐるぐると回っているが、携帯電話は無い。でもガールズバーはある。

もしも玉を使用するときにタイムスリップのような演出が行われるが、実際は別のもしもの世界に移行する。

 

花火がこんな形の訳が無いのところでまどマギを思い出す。

 

製作陣は中学生の夏の日の1日を切り取るには、おっさんになり過ぎてしまったのかもしれない。

 

作品を引っ張る核となる人物がいなかったのかもしれない。

 

オリジナルの深夜のプールを超えるものは感じられなかった。

なんで家の中にローソンの看板あったんだろ

コンテンツは死んだ

心がゆさぶれる音楽も、感情が爆発する文章も、命が込められた絵画も、人間の見えざる一面をさらけ出す映画も、世界はもう必要としていない。

必要なのはコミュニケーション。話題性が大切。

音楽も、小説も、絵画も、映画も、明日、学校で、会社で、SNSで、誰かと繋がるためのツールにすぎない。

美味しいご飯も必要ない。必要なのは、奇抜な見た目の、誰かと繋がるためのご飯。

コンテンツは死んだ。芸術家も料理人もいらない。

ただ現実の中で生きていくしかない。